お歌の時間

初音ミク界隈に見る既視感のある光景 - アンカテ
OSSと似ているところもあるし、似ていないところもある。DTMと同じところもあるし、違うところもある。

初音ミク単体はDTMの延長で捉えることも可能だから、例えば近い将来、バックコーラスの一部をVOCALOIDで作るシーンなんてのは簡単に想像できる。DTMは決して一過性のブームなんかではなくて、深く音楽業界に浸透し、DTM的要素は現在のほぼ全ての楽曲に含まれている。ただのシンセでなく、音楽制作にまつわるほぼ全ての工程がデジタル化され、大なり小なり、Mac上で行われているわけだ。DTMは業界のテクノロジを一変させた。
しかし、DTMはエコシステム・ビジネスモデルを変えるまでには至っていない。
初音ミクDTMとの最大の違いは、初音ミクニコニコ動画というメディアを得たところにある。この場合、メディアこそが社会構造を変える本質だ。素人集団が侵すのは音楽業界ではなく、音楽という概念だ。ニコニコ動画初音ミクによって、音楽は天から与えられるものではなく、人々によって歌い継がれるものにシフトしていく。それは替え歌になったり、MAD編集を受けたりして、すぐに消費されつくしていくような、連綿とした切れ目のない創作=消費活動となるだろう。その時、ひょっとすると人間の「歌い手」よりも、機械の「歌い手」を間に挟むほうが、様々なしがらみや自尊心から解き放たれて、より軽やかに、より純粋な「歌」になるのではなかろうか。

OSSとの差分はうまく語れない。多分レイヤが違うのだろう。コミュニティ形成と自尊心ドリブンな進行は似ている。しかし、コンテンツは消費されていくものであるのに対し、ソフトウェアは本質的には永遠を目指すものだ。よくできたソフトウェアは空気のように見えないものだが、よくできたコンテンツは繰り返し人々の意識に上る。

ソフトウェアの中で最もコンテンツに近いものを、私は良く知っている。「伺か。」である。文字通り「消費されるプログラム」だ。だがそれは明示的にオープンソースとされているわけでもないし、ゴーストはみんなで作成するものではない。ましてやMADなど決して許されない。そうしたいびつさが独特の面白さを醸し出しているし、自らの限界を規定しているとも思う。