続き

悩みに悩み続けている人たちの前で - sugitasyunsukeの日記
これは近いな、と思った。

 そもそも「被害者遺族の気持ちを考えろ」という人々が、必ずしも遺族の感情や人生について本当に思いを寄せているわけではない。

うむ。

 最後には、被害者・遺族感情がある。

感情、という意味ではそうだけど、国民感情もあるのではないかしら。

「情」にも色々な位相がある――「個人の情」と「世間の共同感情」、これらはきちんと線引きしておかなければならない。国民はお祭り的に被害者に(加害者にも)共振するべきではない。

その辺が、どうなんだろうなぁと思うところ。
もしそんなに冷徹に国民全員がなれるなら、それはもう日本じゃないような気がする。ふむ、誰それが三人殺しました。これこれこういう事情です。判例によれば無期です。じゃあ無期なんだネ。被害者感情? 知らないよ、まあお気の毒に。加害者の権利? もっと知らないよ。運が良ければ反省して出てくんじゃない?
日本は良くも悪しくも「お祭り民族」である。いや、「お祭り」と「職人」と「縦割り社会」の三つの軸を持っているかな。そして最後にはお祭りが勝つ。blogosphereを見ても分かる。職人が頑張って自分の意見をポストしたところで、最後はブクマとまとめサイトに消費されて終わる。消費期限なんて、確かめもせずに信じても仕方ないのに、晒されて訴えられて回収祭りで終わる。それを「それじゃダメだ」と言っても前には進まない。それは思考停止だ。
日本人とは、

  • 普段は引きこもってチマチマ仕事をし、
  • 集まれば壁を作ってムラ力学で組織を作り、
  • ストレスが溜まると、お祭りで異界と交信する、

エキセントリックDQN民族である。
その前提で、世界とある程度足並みを揃えるにはどうすればいいか、考えるしかない。今回の件は、今まで司法が作っていたムラ組織的ルールを、「お祭り」が打ち破った例だ。その後、どういう論理が働くのか。あるいは単純に忘れ去られるのか。裁判員制度が「常時お祭り制度」になってしまった場合、どうやってそれをコントロールするのか(当然ながら、町のカリスマお兄ちゃんと長老がコントロールするのである)。