岡田斗司夫の発狂から徒然に思うこと

何だっけ、知識が浅いとか、萌えに負けてるとか、ものが作れないとかだっけ? もう老害以外の何者でもないな。でも、元の本は読んでいないので、多くは語らない。メモ。

  • 今の時代、サブカルは少なからぬ技術に支えられており、受け手と送り手の視野に本質的ギャップがある点
  • 「高速道路」が整備され、オタクエリートの存在が難しい点
  • オタクではなく、アニメが死んでいるんじゃね?という点(岡田の思想はどれだけあがいても庵野への劣等感から抜けられていないと感じている。フィギュアに関しても、結局、アニメの延長としてしか捉えられていないような。二次元の次は三次元、みたいなレベル)
  • メインカルチャーが多様化・衰退したため、サブカル自体のメジャーとの距離が近づいている点

の辺りで、さくっと論破できそうな気がする。一度ぐらい読んでみるか。

この辺に共感。

この辺は、ハァ? って感じ。若いからって思考停止していい理屈はない。「好き」で全てが解決するなら、世の同人作者はあれほど嫉妬に身を焦がしたりしない。


ニコニコ動画を見るだけでも、初音ミクニコマスという二大オタク潮流の、広さ、深さは、圧巻という他はない。
例えば、私はVocaloid Info (@vocaloid) | Twitter をFollowしているのだけど、今でも毎日多くの動画が投稿されている。昨日の5月9日だけで75本だ(全部が「歌わせてみた」とは限らないが)。今の消費者は、著名なPの調教癖は聴いただけで聞き分けられるし、それがどこから来る癖なのか理解している人も多いはず。そのレベルでなくても、投稿者の多くは例えばTips - VOCALOID @wiki - アットウィキ のようなサイトで基礎技術を勉強し、どこで覚えたのか知らないが案外ちゃんと音楽を作り、三十年前のアニオタが必死に一年かかって修得した内容を三日で飛び越えてPVを作る。そのバックボーンには、十年以上の手描きCG文化や、近年のFlash文化、エロゲのOPや、もちろんMTVがあるのだろう。そういう知識をちゃんと持っている。
ニコマスもすごい。単一のゲームの世界を元にしていながら、下はWindows Movie Maker、上はAvidのようなプロツールを使いこなし、世界中どこにもない編集ジャンルを1000人規模で切り開きつつある(Wikiに登録されているだけで700人越えである)。
オタクが死んだと言わば言え。岡田斗司夫が一人や二人いなくなったところで、時代の趨勢も彼らの蓄える知識・経験・技術も、1bitも揺らぎはしない。

懸念するのは、あるジャンルの盛衰が確実に速くなっていることだ。アニメが隆盛してから爛熟するまで、たぶん40年ぐらいかかっている。エロゲが隆盛してから爛熟するまでは15年だ。ラノベはその裏で緩やかに立ち上がっており、20年ぐらいかけている。萌えフィギュアは5年ぐらいだろうか? フィギュア自体は大昔からあるのだが、これ以上高度化する姿を余り想像できない。テクノロジや流通の状況によって、サブカルの成長、変遷も激しくなっていると思う。この変貌の速さが、最後には障壁となってしまうんではなかろうか? その辺はちょっと心配だ。

某長野

ニコ動で幾つか動画を見たけど、日本人のお粗末さに泣いた。「カエレ」って何だよwwwww お前、チベットどうでもいいのかよ。むしろ中国人に「世界に出ろ、いやむしろ俺が教育してやる」というのが本当だろ。お前、単に自分が教育面倒なのを、ヘイトに転換するなよ。びびってんじゃねーよ。
というわけで、やはり祭りのコントロールが急務であり、それは欧米的「技術」ではなく、アイドルを利用した人治であるべきだと思うようになってきた。正論を幾らぶつけても通じない。彼らなりのチンケな閉塞感や鬱屈を汲み取って、別の宗教で洗脳するしかない。

続き

悩みに悩み続けている人たちの前で - sugitasyunsukeの日記
これは近いな、と思った。

 そもそも「被害者遺族の気持ちを考えろ」という人々が、必ずしも遺族の感情や人生について本当に思いを寄せているわけではない。

うむ。

 最後には、被害者・遺族感情がある。

感情、という意味ではそうだけど、国民感情もあるのではないかしら。

「情」にも色々な位相がある――「個人の情」と「世間の共同感情」、これらはきちんと線引きしておかなければならない。国民はお祭り的に被害者に(加害者にも)共振するべきではない。

その辺が、どうなんだろうなぁと思うところ。
もしそんなに冷徹に国民全員がなれるなら、それはもう日本じゃないような気がする。ふむ、誰それが三人殺しました。これこれこういう事情です。判例によれば無期です。じゃあ無期なんだネ。被害者感情? 知らないよ、まあお気の毒に。加害者の権利? もっと知らないよ。運が良ければ反省して出てくんじゃない?
日本は良くも悪しくも「お祭り民族」である。いや、「お祭り」と「職人」と「縦割り社会」の三つの軸を持っているかな。そして最後にはお祭りが勝つ。blogosphereを見ても分かる。職人が頑張って自分の意見をポストしたところで、最後はブクマとまとめサイトに消費されて終わる。消費期限なんて、確かめもせずに信じても仕方ないのに、晒されて訴えられて回収祭りで終わる。それを「それじゃダメだ」と言っても前には進まない。それは思考停止だ。
日本人とは、

  • 普段は引きこもってチマチマ仕事をし、
  • 集まれば壁を作ってムラ力学で組織を作り、
  • ストレスが溜まると、お祭りで異界と交信する、

エキセントリックDQN民族である。
その前提で、世界とある程度足並みを揃えるにはどうすればいいか、考えるしかない。今回の件は、今まで司法が作っていたムラ組織的ルールを、「お祭り」が打ち破った例だ。その後、どういう論理が働くのか。あるいは単純に忘れ去られるのか。裁判員制度が「常時お祭り制度」になってしまった場合、どうやってそれをコントロールするのか(当然ながら、町のカリスマお兄ちゃんと長老がコントロールするのである)。

関連して

頭でっかちの西欧人と違い、日本人は肌で、「人間の尊厳」なんてものが実は大したこと無いと知っていると思う。だから死刑廃止論をまだ上手く理解できない。それでいいのだと思う。
それこそ、自分は明日にも交通事故で死んでしまうかも知れない。子供が生まれそうになっても、産ませてくれる病院が無くて母子共々死んでしまって、ついでにダンナも自殺するかも知れない。ついこないだ、アメリカと(アメリカとだぜ!)戦争して、海、空、満州、東南アジアのジャングルで、ばんばん殺し殺されて来た。
もちろん、そんなことがないように努力はする。でも死はいつも隣にある。あって然るべきなのだ。ましてや「人を殺して死刑にならないと死ねない」なんてことはない。人間はもっと簡単に死ぬはずで、だからわざわざ殺したりする必要はないし、してはならない。それは、死がどれほどあっけないものかを良く知っていた日本人のメンタリティだ。
唯脳論ではないが、死や病が生活の視野から余りに遠ざかってしまって、異界として神聖化されている現状自体が変だと言えないだろうか。「人間の尊厳」や「幸福の追求」が、生者にしか許されない、と誰からか押しつけられていることに違和感を感じないのだろうか。死に方にも尊厳の在り方があるだろうし、幸福の多寡があるだろう。

環境保護もいいけれど、生と死についても、カオスなクールジャパン(笑)らしいスタンスを取れないだろうか。死の禁止をキリスト教が押しつけている西欧と同じ論理が、日本で通用するはずがない。

某判決

私は決して死刑廃止論者ではない。が。今回の判決に関する批判の殆どが「安易に『空気』に乗る事自体を良しとしないがための批判(批判のための批判:得てしてねじれている)」「自分が持つ(遺族に同情する)感情を認めたくない(前者とも似ているが、死刑=想像上の殺人の責任を持ちたくないという姿勢に近い)がための批判」「従来通りの死刑廃止論」の3視点を混ぜたものから踏み出せていないのは、いかにも不健全だと思う。あ、弁護団云々は除く。

どうすればいいのかは、もちろん私にはワカラン。現行法においてどうなのかと言えば、前例を覆す根拠はたった一つ、裁判員制度を意識したものだろうし、まあそれで妥当なんだろうとしか言えない。

全てのコンテンツが広告になるとして

最近、取り留めもないことを考えがち。忙しいはずなのだけど。眠れないからか。飲んでるからか。

作り手を“やる気”にさせる著作権とは――島本和彦氏など語る (1/3) - ITmedia NEWS

最近考えているのが、コンテンツ=Web=広告、という風になってしまったとすると、Webの成長は、「現在のコンテンツ収益+広告費+通信費」のパイの範囲で止まってしまうのか、という点。バラエティー番組程度の制作費・広告費が、SNSCGMとAdSenceに置き換わって、それで終わりなんだろうか。結局置き換えでしかないんだろうか。何だかぞっとしない光景だ。

英語学習SNS「iKnow!」誕生の裏側--運営会社セレゴに迫る - CNET Japan

認知科学脳科学、心理学を利用した学習システム。それは良しとしよう。人間とWebをより密着させる装置になろうとしているのも分かる。メディアがテレビではなくなって双方向になった、SNSTwitterやメッセやIRCで人々が繋がっていて、その中にシステムを滑り込ませるのが一般的になった。もっと人間の動的な側面を研究しなければならないのは自明だ。

http://ascii.jp/elem/000/000/108/108072/

認知科学と特許で邁進する人もいれば、直感で開発してしまう人もいる。ニコ動も後者だ。コンテンツをより深くに送り込むことを目指している。

ニコニコ動画
【初音ミク】 サラリーマンのうた【オリジナル曲】

4:5

08/02/04 06:22 投稿

【初音ミク】 サラリーマンのうた【オリジナル曲】
◆前作、雪峰〜yukimine〜(sm1983502)に続き初音ミク2曲目になります。今回は少しほのぼのした曲を作って...

一生懸命働いて、家に帰ってただ寝るだけ。みんな頑張ってるけど、何のために働いているんだろうね。

2ちゃんねる補完計画w 日曜の晩だから官僚の俺が独り言を書いてみる

何かを良くしたいと思って働いている人は、きっと多い。もちろん極端な人はどこにでもいるし、自己実現が先に走る人も増えているけれど、現実を知る大多数の「普通」の人達は、自分の仕事は、どこかにポジティブな部分があるはずだと願っている。サービスを受ける人、製品を使う人、サポートを受ける人、同じ国の人、あるいは周りで働いている仲間の日々を、少しだけ楽しく便利にできればいいと。金儲けに血眼の人のエネルギーを使うのは有効だけれど、そういう人が日本に沢山いるかというとそうでもない。関西には多いかも知れない(偏見)。


具体的な成果というのは、どこからか人的エネルギーを取り出してきて、それを然るべき場所に入力することで得られる。エネルギーをどう取り出すか、どう効率的に使うか、それがシステムの仕事だ。会社であれば、資格とか役職とかに当たる部分だ。国家で言えば、官僚とか議会とかに当たる。


もう殆どの人が綺麗さっぱり忘れ去っている気がするが、オープンソース運動というものが昔ありました。そこにあった開発者コミュニティの形は、ある種理想的なインターネットの形としてもてはやされていた。今、改めてそのような賛美を聞くことは全く無くなった。SNSは単にコンテンツと広告を流すためのツールでしかなく、ひたすら数を集めて乗数効果だけを狙っている。居心地の良さは、モバゲーではアバターに価値を持たせるための前提でしかない。ネットニュースに取り上げられるような日本ベンチャーには、勢いも格好良さもあるけれど、どこか虚ろな影があることが多い。西海岸の香りがしない。不安で一杯なのに、それを見ないようにしている雰囲気がある。


全てのコンテンツが広告になる。リンクになる。Webになる。でも、全てのWebがコンテンツである必要はないはずだ。何かもっとあるはずだと思うのだけど、上手く言葉にならない。

スト4動画

「ストリートファイター IV」のプレイ動画公開
何でこれが痛いニュース?(^^;
思ったより2D格闘で安心した反面、結局2D格闘の限界を超えられないどころか、懐古趣味に走っているように見えるのが微妙。我々はこんな所まで到達してしまったんだなぁという印象を新たにする。
個人的な好みとしては、

210 名前:名前は開発中のものです[sage] 投稿日:2007/12/30(日) 13:16:55 id:oY1fJX4C
複雑化するとマニアしかできなくなりマニアにすら見捨てられたvf5みたいになるから
シンプルなゲームでいいよもう・・
空中コンボとかもいらんし連携もいらない。
6ボタン+レバーでシンプルな操作でok
ロマキャンみたいなのがあるから単調な対戦にはならないでしょ。

に同意。
初期スト2の楽しさってのは、大足の戻り判定に昇竜とかスクリューとかを合わせる(そのために、あえてガードモーションを取らずにドット単位の見切りをする)とか、相手の一歩目に立ち大Kを合わせるとか、いつも使ってる道具をいかに使いこなすかみたいなとこだった気がする。6ボタン全部に意味があって状況に合わせて使い分けなきゃいけなくて、しかもそれを外すことでフェイントに使えたりする。ダッシュがあるのは仕方ないけど、できるだけ汎用な動きをフル活用する方が、空中コンボみたいな作業ゲーより探索空間が広くて楽しいと思うんだよね。もしくはDoAみたいなじゃんけんに持ち込むか。待ちが腹立つのは物凄く良く分かるんだけど、だからと言って小足と空中ダッシュしかないのはどうかと思うのです。じりじりするストレスがあった方が、改心のコンボを決めたときに爽快だと思う。そういうのは3,4回の対戦に1回あればいいぐらいのバランスで、だからこそコインを投入してしまうというか。
まあイマドキ流行らないよねーw